| アニメ映画 の記事一覧 | ||
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| 新世紀エヴァンゲリヲン 序 |
| 2007.09.23.Sun / 00:02 |
| 本日、レイトショーで見てまいりました。
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レイトショーで映画見るって、私初めてなので比較対象が無いんですけども、50人くらいはいたと思います。ワタシ的には結構入ってるんじゃないかと思いました。公開から二週経っていますしね。本来でしたら封切り日に見るようにしているんですが、なんとな〜くエヴァは私自身はTV見て無かったし〜、当時仕事をしていた人がハマりまくって当時の映画観に行ったら、翌日激怒してしていた(古い話ですし、今指摘することではありませんので、気になった方は理由は各々方で調べてください。話を聞いたら怒るのも仕方ないなと私は思いました)ので、いつぞやのテレ東での一気放映もスルーした位ですし、今更エヴァもなかろうじゃん?と自己完結していたわけです。ですがまあ公開している映画館のある街で少々お遊びをしたので、ついでで見とこうかなと思いついたもので、見てみた次第です。
で、私の言いたいことを申し上げますと、脳裏にちょろっとでも観に行こうかな?と思っている人はズバリ観に行った方がいいです。わたしは上に書いたとおり、本放送視てません。一連のパチンコシリーズでのスーパーリーチでイベントめいたことを知っていて、少年エースでたまに連載されているのを読んでいる程度なものなんですが、その程度の予備知識でも十分に楽しめました。アレをやって今回分は終わりかな?と思ったらまんまだったのが、知識が少ないにもかかわらず的を射ていたということで思わず笑ってしまったところなんですが、これパチンコしか知らない人はちょっと混乱しますね。つうか私が混乱したんですが。単純にパチンコが原作イベントを改変しているということなので、え〜?なんで〜?とか思うようなことでは全く無いのですね。 内容的に、どうこう言えるほど理解しているわけではないのですが、やっぱテレビモノを映画化したものに共通して言えることなのですが、展開が忙しい。エヴァに乗って使徒倒して重症負って、すぐ治ってエヴァ乗って以下・・・・って感じで、シンジが「エヴァに搭乗=死の一歩手前」という形で死を常に目の当たりにしているんだという恐怖感が、観ている側からするとなんだか薄れてしまっているんですね。もちろん搭乗することで、使徒にヤラれてしまえば死んでしまうのだという理屈は当たり前に理解できるのですが、それがいつ日々の生活に現実として覆いかぶさってくるのか分からない状態でシンジが抑圧された生活を送っているんだという見方をしてみると、やっぱり表現が弱いように思います。 顕著な例がシンジを殴った男との距離の縮まり方ですね。誤解から妹の怪我がシンジによる(そこまで思っていなくても、操縦がヘタクソでそれが怪我を誘発したくらいには考えられるでしょう)ものということで殴ったはいいが、実際に使途を目の当たりにしたとき、シンジの直面していた恐怖を共有したことで、シンジを認めることができたという流れそのものはストレートで理解しやすい。なんだけども、学校生活の部分をものすごくカット(元のテレビ版がどうだったかは知りませんよ)しているため、シンジを認めるに至った過程が非常にあっさりテイストなんです。勿論こんなことは深く説明しなくたって理解できるだろという意図なんでしょうし、それはその通り理解できることなんですが、「新東京市での生活」というリアリティが感じられにくくなっていることにつながるんじゃないかと考えてしまうわけです。 でもこんなことは極々瑣末なことです。トータルで考えたとき、観たいと思う人は観に行けということで結論ですね。 Close.△ |
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| 北斗の拳 ラオウ伝激闘の章 |
| 2007.04.30.Mon / 21:31 |
| 本日見てきました。
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本当は封切り日に見たかったのですが、仕事の関係と体調不良が重なっていたので、日曜にすっかということで延期したのですが、昨日はとてつもなく腰が痛くなってしまって、外出できませんでした。なんていいますかここが良くなるとあそこが悪くなるの繰り返しですよ、全くもう・・・。オーバーホールしてえなあ・・・。
さて浦安のイクスピアリで見てきたんですが、まず最初に思ったことなんですけれど、当然公開劇場を調べますよね。前作公開していたところ軒並み撤退してませんか?はっきりとは覚えていないのですが、錦糸町のTOHOや京成ローザでもやっていたと思うのですが。私は前作をユーカリが丘に観に行ったのですがやはり今作は扱ってませんね。まあそれが何を指すのかはあえて指摘する必要は無いのですが・・・。 で、なぜそのようなことが起きるかの遠因といいますか主因とも言えるんですが、はっきり言うとまず作画が悪いです。お客は劇場代のみならず交通費まで払うんですけれど、それによって発生する作品に対する期待を軒並みスポイルしてくれてしまうクオリティ。原画部分では、さすがに北斗を冠するだけあって迫力のある絵なのですが、これが動くととたんに深夜アニメクオリティになってしまう。問題無いところもあるのですが、やっぱり悪いところが目立ちすぎ。いぬかみっ!の悪い時ぐらいのクオリティといえばある程度参考になるでしょうかね。 そして前作でも指摘されたわけですが、主役級の声優の演技がボロボロすぎる。ラオウの宇梶氏については、前作でさんざんけなしましたので控えめにするとして、私の感想としては、前作よりかは上手くなっていた(まあ当たり前なんですが)。最後のケンシロウと戦うシーンではほぼ気になりませんでした。ですが平常時の演技はぼろぼろに近いですね。前作でも書きましたがやっぱり軽い。ケンシロウの阿倍寛は前作では問題無かったのですが、セリフ自体が少なかったのでボロが出なかったのだろうと書きましたが、まさにそれが該当してしまいました。今作では比較にならないくらいセリフが増えているのですが、あーメッキが剥がれたなあという印象。そしてユリア・・・・。悪いですが最低レベル。もう何度も同じこと書きたくないのですが、アニメ映画はマーケティングとプロモーションのしやすさを考慮して、いわゆる有名人がアフレコに挑戦!という形をよくとりますね。興行なのですから、成功に導くために話題を投入したいという意図は当然ですよ。野球で言えば始球式にアイドル招聘するようなものですから。でもさアイドルに一日監督って形で采配させたり、実際に守りにつかせたりなんてしないでしょ。どうしてど素人を四番に起用しようとするのかなあ?それだけ質が下がって、作品としての評価が地に堕ちるのだっていい加減理解してもらえないでしょうかね。ちょっとしたシーンにちょこっと入れるのとかは賛成ですよ。意外と違和感なかったねーくらいに思うのは別に悪いことではないですから。まして本職の声優といえどまっ玄人揃いというわけにはいきません。新人を育てないと次につながりませんから、少々違和感を覚えるような声があってもこれは仕方ないと考える。でも最初っから最後まで出ずっぱりのキャラクターの演技がぼろぼろじゃあ聞きたくないし、観たくないって気持ちになるんですよ。起用する側に理屈があるのは分かる。でも観る側は受け入れないならば、その理屈になんの正当性があるのでしょう?別に有名人使うなといってるわけじゃない。使うならば上手い人を使え。スケベ心で話題づくりならば、聞いても聞かなくても問題無いようなキャラに使え。キャスティング関係では、赤鯱に起用された角田氏の演技が割とちゃんとしたものに聞こえたのが救いだなとしか言えませんね。まあそれも怪しいもんなんですが。 さて内容的に見るとこれは北斗の拳か否かと問われればまぎれもなく北斗の拳なのですが、ラオウ伝か否かと問われれば否と答えるしかないという結末に終わっています。前作で私が指摘した、これはラオウ伝じゃないだろという命題は結局覆りませんでした。なぜかというと多少原作と内容は組み変わっていたりするのですが、これは北斗の拳の映画化の域を出ていない。もちろんそれが目的ならばそれでいいんだけれど、なら真救世主伝説のどこが真なんだ?となる。ケンシロウとラオウの死闘の意義も原作で呈されたものをそのままなぞっただけ。ラオウの死の真相という触れ込みで広告を打っているけれど、ラオウの宮殿での出来事が多少入れられていただけで、原作から想像できる範疇に軽く納まってしまっている。映画においてラオウは覇業のためにケンシロウの挑戦を受けたのではなくて、北斗神拳伝承者を拳法家として凌駕するために、後顧の憂いを断って死合に臨んだという描き方をしているのだけれど、それは原作で十分に表現できている。私はラオウ伝と銘打つからにはラオウの生き様そのものを深く抉ったものを期待していたのだけれど、全く持って原作の範疇に収まってしまっているのが非常に残念です。もともと原作のクオリティが高い(ラオウ戦までは、だけれど)ので、そこを打破するのは容易ではないのだけれど、これでは普通に北斗の拳映画化としか受け取れない。まあ、バルガやら他のラオウ配下の武将が出てきたりしたのは「ラオウ軍」っぽいなとは思いましたが。原作はどうしてもラオウが単騎で神格化されているため、戦略的な面などが物足りなかった。で、折角軍らしさを出したのだから、そういう戦略面を描いても良かったんじゃないだろうか。炎のシュレンの奇襲攻撃を受けるのだけれど、戦闘シーンとしての価値は高いと思うのだけれど、私にはラオウは一体ここで何してたんだ?としか思えなかった。どこになにをしに行っていたのかっていうのがさっぱりで、直後に場面転換してユリア強奪に向うので、なんかタメが足りないなと序盤では思いました。そこを乗り越えたら、話の流れは全く問題はありませんでした。北斗の拳そのものじゃんという見方を最後まで打破してもらえませんでしたが。 ![]() クリックよろしくお願いします。 Close.△ |
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| 電撃文庫ムービーフェスティバル 灼眼のシャナ キノの旅 いぬかみっ! |
| 2007.04.21.Sat / 15:51 |
| さて視てきました。
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その前に、私なんだかここ最近体調悪い日多いんですねえ。3日に一遍くらいすげーだるいって感じ。昨日も、歩いている時などに体の中で急に血がどっと押し出されるような感覚でクラッとしたりして、家に帰って体温計って見たら37.5℃ほど出ておりました。朝起きたら体調は普通でしたので、とくに何もしないで外出したのですが、映画が終わって帰ってくるときにまただるくなってきてしまいました。視てるときは結構平気でしたのでちゃんと視ることはできました。
さて幕張で見たのですが、まず予告が長すぎる。15分費やしています。これって配給元の強さによるんでしょうかね?それとも映画館自体で予告をどれだけ付けるか決めるのでしょうか?映画雑誌とか全く視ませんし、見所をピックアップしてくれるので予告を視ること自体は好きなのですが、いかんせん量には限りがあります・・・。 OPで、三作合同のプロローグめいたものがあるのですが、ここでちょっとやっちゃったなあという空気が漂う。家で見てる分にはこういうのって私は気にならないのですが、劇場だと人の視線というものも多少気になりますので、あんまりバカウケしてるのも恥ずかしいなと思ったりするわけですね。でまあ照れ隠し的に、うわこりゃきんもーっ★だなって思ってしまう。まあ私の精神的弱さが原因なのかもしれません。(周囲の視線と)戦うオタクではありえませんので・・・。 シャナ 結論から言うとこれが一番良かった。元がしっかりしているわけですし、そうそう大やらかしはありえねーだろとは思っていましたが。アニメとしてどうなのかとかそういう外装的部分において、私がなにかいちゃもんつけたいという部分はほとんどありません。ただ出だしが駆け足なので、初見の人はついてこられないんじゃないかと思います。まあ初見の人でこの映画を見ようとする人自体、そもそも居ないんじゃないかと思われますが。 以下内容面===テレビ版との比較有り=============== 佐藤と田中が、劇場版ジョジョのタルカス・ブラフォードにすら劣る扱いを受けるとは思いも寄らんかったw。集合写真一枚ぽっきりとはw。尾形はともかくとして、彼らが出ることでテレビ版の内容面が膨らんでいたので、映画という尺に納めるには逆にカットせざるを得ないでしょう。その判断は支持します。ただマージョリーとも一切関わっていないのが気になります。電撃の15周年記念の特別製作であり次を映画化することは無いのであれば、佐藤や田中なんて居ても居なくても一緒なんですがね。別の部分でも同じことが言えます。今回の結末は、テレビ版でのいきなり心神喪失してしまったフリアグネを不意打ちしたという結末と比較すると、戦闘の説得力が段違いに良い。ただしトドメを刺したのはシャナたちフレイムヘイズではなく、あくまでも顕現したアラストール。私は原作のノベルは読んでいませんので、テレビ版が基準になっているのですが、ここでアラストールが顕現してしまって、しかもシャナがその顕現に耐えうる体であると明かしてしまうのはどうなんだろうと思うわけです。最後の最後にどうしようもなくて自己犠牲という覚悟において顕現したという締め方が出来なくなってしまうのです。 ドラゴンボールにおいて、フリーザに勝つためにスーパーサイヤ人化しましたけれど、以後ぼんぼん変身、しかも孫やベジータの子供らも全員できてしまうことになり、そこに至るまでのプレミアムが無価値になってしまいました。それと同じように今回の結末によって、困ったことが起きたら顕現すりゃいいよね、世界のバランスは零時迷子の存在の力を使えば無問題じゃん。の流れが出来てしまったわけです。まあそうほいほい顕現するわけにはいかないのが実情ですがジョーカーの在り処が分かるのが早すぎる。でもまあ前述しましたが、今回限りの映画化ということであればそれは問題にならないのですが。 ですが、トリガーハッピーがなぜ対フレイムヘイズ戦の切り札なのかがはっきりしたことは良かったです。強制顕現によって肉体が破壊され入れ物は死亡、紅世の王は自身の顕現は本意ではありませんから、紅世に帰るしかないという理屈は戦略的にも面白い。アニメでは今一その理由はあきらかになりませんでしたし、単行本でもこれがあれば負けないと意気込むところまでしか描かれておりませんので。ここで切り札となっている以上フリアグネとしては使わざるを得ない→でもシャナには無効なんだよど阿呆め氏ね、の流れですので、シャナが顕現に耐えうる存在であると明らかにするしかないのは必然としか言えないですねえ。 キノの旅 声や作画面などは良かったのですが、内容があまりにもありふれすぎています。希望を持って開拓に出かけた人々が実は・・・。残された人々も実は謀られていた・・・。途中まであまりにも起伏が無く平和に進みすぎるため話の落としどころがばればれになってしまいましたね。でまあよくある話だねーで終わってしまうのですが、最後キノと中尉が銃撃しあった後で手紙が女の子に届くわけですが、キノが勝利してキノが手紙を書いたんだろうなあ。じゃあ筆跡はどうすんだよ!というツッコミどころをどうしてくれるんだろう・・・。 いぬかみっ! 私はTV版いぬかみが好きです。あの下品っぷりが堪りません。話によって出来の差が大きすぎるのですが、大概受け入れられました。二話はとくにおすすめです。とテレビ版を推奨するこの私ですが、これはイタダケナイ。仮名さんにスポットを当ててミステリアスに話が進行しているのもいいし、赤道斎の魔道具が騒動を出すあたりもちゃんと基礎設定を生かしていて、いぬかみっ!ワールドとしては文句無い仕上がりなのですが、なんというかテレビ版の枠から出てないって感じなんだよなあ。言ってみれば国立劇場を借りて幼稚園のお遊戯をするといったような感じかなあ。いぬかみっ!におけるちまちまとした話の進行とか変態大行進とか好きな人は絶対好きなんだけれど、やっぱ家で見てるからいいのだと私は思う。いろいろギャグを織り込んでいるんだけれど、すればするほど引いていくって感じでどん引きでした。劇場で見るという視点で作って欲しかった。 ![]() クリックよろしくお願いします。 Close.△ |
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| ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド 映画版 |
| 2007.02.17.Sat / 21:47 |
| 視て来ました。かなり辛辣になると思います。
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今日、本来仕事は休みなのですが休日出勤しまして、仕事が終わり次第帰って構わないという状況だったのですが、本来午前中に終わるはずの仕事が、出先の人間から連絡が一切来ず終業ぎりぎりまで待たされました。まあそれ自体はよくあることですし出先の人間も客あっての話なのでやむを得ないのですが、早ければ2:00、遅くても3:30くらいには終わるなと目算していたのに、ただ待機させられるという現状に機嫌が悪くなっていたという事実があるということを先に申し沿えておきます。
で、本日の仕事は9割待機みたいなものでして、ウルトラジャンプの増刊のジョジョ第一部ファントムブラッドを購入して、それをあらかじめ読みました。映画だけ視たほうがいいかな?とも思ったのですが、第一部を読んだのも3年くらい前になりますし、ある程度ストーリーを頭に入れておくのも悪くないだろうと思ったわけです。結果的にそれは裏目に出たと自己分析します。 さて前置きが長くなりましたが、本編について触れたいと思います。これはまず結論から言うと、ジョジョであってジョジョでない。こう評さざるをえません。上記の増刊にて、映画にスピードワゴンが出て来ないとスピードワゴンがコメントしているのですが、この事実がこの作品のダメさを象徴していると言えます。彼は当然脇役ですし、いてもいなくてもこのストーリーの成立に大した影響を与えることは無いと判断し、そしてその判断はこの作品を見た人間に間違いであると声を大にして指摘せしめることはできないでしょう。これだけ見た場合、ああなるほどジョジョとディオの因縁はこうして始まりこうして幕を閉じたのかというのは分かります。でも、でもこの作品を見て得られるものはそれだけなんですよ。 原作において、ジョジョがケンシロウに見えてしまうことがたまにあります。でもそれは格闘要素を取り入れている以上、やむを得ないかなと思うんですね。北斗の拳は、拳と拳のぶつかりあいの一部として多様な技が存在する。ジョジョは人の知恵と知恵とぶつかり合いの一部として格闘が存在するんではないかと私は思っています。それは戦略という一語で片付けられるものではなくて、まさしく戦闘時における一瞬の閃きの結晶。その結晶の純度が高いものが他を圧倒し、勝ち抜いていくという美学が作品の根底に流れていると思います。私個人はだんだんジョジョについていけなくなってしまったため第4部まで読んで脱落という状態なのですが、第三部はその美学がまさに結実した傑作であると思っています。その礎となる第一部をアニメ化したので、喜び勇んで視てみたら・・・・、なんだこれ・・・としか言えないわな。ジョジョ対ディオがケンシロウ対ラオウになっちゃってるじゃん。波紋とか石仮面とかは確かに出てくるけど、ジョジョの良いところが完全にスポイルされている。設定は反映されているけど、脈が通ってないわ。あんまり細かく書くとまだ視ていない人に悪いので(つうか細かく書く能力そのものが私に無いけれど)控えますけれど、ジョジョの持つ驚愕の爆発力、人の成長という重要なエッセンスが入れ忘れられている。顔は確かに年月の経過に合わせて変わっていますよ。でも冒頭のジョジョと終わりのジョジョを比較したとき、波紋を修得しているか否かの違いくらいしか感じられない。 単にスピードワゴンが出て来ないから不満なのではなくて、ジョジョの成長を見つめている人間が居ないんだよな。そしてストレイツォが出て来ませんので第二部をもし制作するとしたら重大な矛盾が生じます。この作品とはパラレル扱いということになっちゃうよなあ。あー、でもストレイツォの存在自体無かったことにしちまえばいいのか・・・? さらにこれは腹が立ったというか呆れたのですが、タルカスとブラフォードの扱い・・・・。これは本当に呆れたの一語で察してください。 原作の流れをそのままアニメ化することに意味なんて無いです。漫画は漫画、アニメはアニメでそれぞれ得意な表現を生かして作品を盛り上げれば、多少の事実関係のズレがあろうとそれは成功したものと私は捉えます。でも・・・・この作品は、まず映像化ありきで、原作で描かれたエピソードを取捨選択し切って都合の悪いところは他で帳尻合わせて2時間の尺に納めて納品完了乙でしたという工程を辿ったんじゃなかろうかという(実際の作業がこんな簡単でやっつけ仕事なわけは無いですが)妄想にとりつかされます。映像は良かったです。山吹色のオーバードライブが疾走する映像は美しい。そこに金払ったと感じる。 こんな感じで文句タラタラなのですが、動きはすごく迫力がある。スピードワゴンの演技も問題なし。あえて言うならディオの父を演じるには声が若いなと思ったくらい。しかしまあ北斗の拳ラオウ伝のときもこんなこと書いていたんだけど、私はアニメ映画を見る素養に欠けるんだろうか?と自問してしまうような出来でした。 ![]() クリックよろしくお願いします。 Close.△ テーマ:日記とアニメ・マンガ関連ごちゃまぜ - ジャンル:アニメ・コミック
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